火山岩が語るマントルの水

解説執筆:中村仁美
作成協力:赤司卓也・乾 保雄・竹内晋吾・平野直人



1.白い石と黒い石
2.中部日本のマントル
3.スラブ流体と火山
4.スラブ流体を探す旅 〜エピソード〜
5.スラブ流体の検出
6.終わりに
7.原著論文
8.参考文献・リンク




4.スラブ流体を探す旅 〜エピソード〜

 中部日本の火山の中でもっとも不思議な存在が、両白山地です。両白山地は、石川県・福井県・岐阜県の3県にまたがって密集する火山群で、信仰の山として有名な白山をはじめ11の火山が集まっています。しかし、ここに火山群があることはマグマ成因論から考えると、極めて謎めいたことでした。それは、両白山地の位置が通常の島弧(<200km)で考えられているよりも深い深発地震面(300km)をもっているからです。普通は火山がないところに火山群がある、ということは何か不思議なことがマントルで起きていると想像できます。

白山山頂を仰ぐ(撮影:平野直人氏)


 そこで私は、この不思議な位置にある両白山地を物質科学的 に調べてみようと考えました。その結果、両白山地の山々が、他にはない大変ユニークな化学組成を持っていることを見つけました。ユニークな化学組成の原因が何であるか、どこまで続いているのか知りたいと思い、中部日本全域に手を広げることにしました。

 中部日本には、100万年より若い時代にできた火山が60山ほどあります。このうち、全域を網羅できるように30ほどの火山を選び、マントルの情報を持っている溶岩を求めて走り回りました。北緯35-38度(那須火山〜富士山)、東経136-140 度(赤城山〜両白山地)の約16万キロメートル四方の広大な領域に点在する火山を巡ること、それは、山に不慣れだった私にとって大冒険でした。県境でガラリと変わる個性豊かな県道や林道、様々な動物との遭遇、そして山間に住む人々との出会いがありました。その中でも、強烈な反省と共に思い出される、私の未熟さが招いた出来事をお話します。


図4:両白山地での調査

 写真(図4)の、登山リュックとの比較でお分かりになるかもしれませんが、私はかなり小柄で腕力も人並み以下です。いまは小さな四輪駆動車でフィールド調査に出かけます。猿の群に囲まれたときも、半飲みした蛙を喉に詰まらせて目を白黒させ微動すらしない蛇に出くわしたときも、突然の土砂降りの雨の時も、この車に助けられました。しかし、この研究を始めた10年ほど前は車の免許を持っていませんでした。

 あれは、5月上旬の雪解けの頃、まだひんやりと肌寒い時期でした。私はひとりで福井県のある火山の麓に広がる棚田の畦道から、流れる霧の中で見え隠れする山頂を見つめていました。背中の分厚い大きな登山リュックには、2キロと1キロ弱の2つのEstwing社製ハンマーなど調査道具一式、一日分の食料と水が入っており、小柄な私にとってすでに十分重い荷物でした。

 荷物が重かったものの、初めての単独フィールド調査の心地よい開放感と、また、運良くヒッチハイクでここまで来ることができたと言う達成感も加わって、私は鼻歌混じりで、枯れ枝を片手に振り回しながら調子よく歩いていました。登山者が好むような山ではないので、周辺に飲食店や宿泊施設はなく、畦道にも人影はない。代わりに、山の谷間につくられた棚田の穏やかな風景がありました。


  いまはGPSがあり使っている方も多いと思いますが、当時は地形図を指でたどりながら、木々の茂り具合、稜線、道のうねりや沢などを記憶し現在地を確認していました。そして、横目で溶岩の露頭を探しながら山道を登っていくわけです。古い火山だと、植生や堆積物に覆われていて溶岩を見分けることが難しい場合もあるので、丹念に追っていかなければなりません。溶岩の露頭を見つけると、肩から荷物を降ろし、ハンマーを取り出します。まず、地質学的に意味がありそうで、なおかつ、割り易そうな溶岩の“目”"を見定めて、2キロのハンマーで全身の力を振り絞って叩き割ります。石の内部に変質がなく溶岩に入っている鉱物が新鮮であれば、小さなハンマーでとがった部分などを削ぎ落とし、形を整えます。大きさは、最低でも握りこぶし大のサイズが必要です。次に、マジックで石に日付を書いて、サンプル袋に入れ、採取場所を地図上に記録し、露頭の状況、岩石と鉱物の種類や様子を記載します。以上で一回の採集工程が完了します。一工程につき、1時間ほどかかっていたでしょうか。


両白山地の一つ、経が岳(撮影:I.O.氏)


両白山地の一つ、大日が岳(撮影:W.N.氏)

 初めてのフィールド調査で露頭の状況を見てみようと下見気分で来た私は、幸運にも結構よい露頭を見つけ、興奮状態になっていたようです。次から次へと露頭を求め、試料を取るのに夢中になり、いつの間にか時間を忘れていました。風が冷たくなり日暮れが迫っていることをようやく感じた時には、すでに午後4時をまわっていました。

 その頃には、リュックには石がはち切れんばかりに詰まっていて、歩くのもままならないほどになっていました。せっかく取った石を捨てることもできず、数歩歩いては、リュックを背に、ひっくり返った蛙のように仰向けで地面に寝ころぶ、見上げた空の暗さに焦り、側にある草木に掴まって体を起こし、荷物の重みで今度は前に倒れかかるのに堪え、立ち上がってまた歩く、という有り様でした。こんな調子なので、どんどん辺りは暗くなり、すっぽりと私を覆う木々の間を吹き抜ける風の音が何か大きな生き物の遠吠えのように思えて、何度も後ろを振り返っては小動物のようにビクビクしていました。


 あっという間に歩いてきた道は見えなくなり、ヘッドライトの小さな灯りは闇に吸い込まれ足下にすら光が届かなくなりました。このまましゃがみ込んでしまったら誰も気づかないと思うと背筋が凍る。この辺りになってくるとあまり記憶は定かではありません。怖さと後悔と焦りと疲れが全てごちゃごちゃに入り混じって、何が何だかわからない半泣き状態だったと思います。暗闇の中を、自分の力というよりも、荷物の重みで転げ落ちるように山を降りていきました。

 いまでも鮮明に覚えているのは、私の小さなヘッドライトの灯りに突然照らされて立ち尽くす女性のとても驚いた表情です。女性はYさんと言い、この麓の集落に住んでいる方でした。彼女は私にこんなところで何をしているのかと尋ね、私は悲痛な面もちでここに至った経緯を話し、一晩泊めてほしいと懇願しました。「男性なら怖いので断るけれどね」と言って、彼女はにっこりしてくれました。

両白山地の夕暮れ(撮影:I.O.氏)


 Yさんのお宅の湯船の中で、私はようやく大きな安堵のため息をつくことができました。突然降って来た珍客を、Yさんとその家族は大変快く迎え入れてくれました。とりわけ、先祖代々この土地に住んでいるおじいさんは、地すべりや土石流の話をしてくれました。翌朝から、私はおじいさんと二人で軽トラックに乗って山へ向かっていました。おじいさんが山菜を採っている間、私は石を取りました。お陰でかなり多くの石を集めることができ、予定よりも早く調査を終え、私は帰路につきました。ほどなくして、私は車の免許を取得しました。






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