北海道駒ケ岳

第二回下仁田・本宿地域OFF会
下仁田・中小坂鉄山の坑道と遺構 および 磐戸地区枕状溶岩

2008年4月19日

 2007年11月に開催した「下仁田・本宿陥没地観察会」は余りに見所が多く、又新たな観察希望地が現れた為に、第二回の観察会を開く事となりました。

 今回は、下仁田に於いて日本で最初に民間資本で洋式製鉄を行った「中小坂鉄山」の保存と研究を目指す「下仁田中小坂鉄山研究会」の方の御好意で、予定の2時間を遥かに越える内容で磁鉄鉱鉱山の坑道と露頭或いは高炉や焼成炉等の遺構を見学する事が出来ました。又、見学の終わりに、鉄山の現所有者である地主の方のお宅にて、お茶とお菓子の御接待を頂き暫くの歓談の時を持つ事が出来ました。

 午後に天候が許せば「立岩」に取り付く予定でしたが、中小坂鉄山での見学に我々の数多くの我儘な希望を受容れて熱心に御案内を頂いた事と、少々天候も芳しくなかった為に午後の「立岩」挑戦計画は又次回に譲り、やはり下仁田中小坂鉄山研究会の方に御紹介頂いた磐戸地区の枕状溶岩の露頭観察で過しました。ここもまた、想像以上に素晴らしい露頭が広がり実に充実した一日を過す事が出来ました。

 まずは巡検開始前の下仁田ふるさとセンターでの打ち合せです。今回の参加者は6名。 中小坂鉄山で採取された磁鉄鉱のサンプルと草津近くの六合村(くにむら)群馬鉄山のサンプルで鉄分の比較出来る様、御配慮頂いて嬉しいスタートを切ります。

 中小坂鉄山の磁鉄鉱は鉄分の平均含有量が60%ほどの大変優秀な鉄鉱石を含むもので、平滑花崗岩と南蛇井層との接触部に構成されています。



 まずは坑口の状況を見ながらの記念写真です。「中小坂鉄山研究会」の法被姿が、案内者の方です。

左の写真は山腹の磁鉄鉱脈の露頭です。この付近では露天掘りが行われていました。


 坑道での「平滑花崗岩」と磁鉄鉱脈との接触部です。竹竿の尖端部、黄色いテープを巻いた部分は磁石が仕込んであり、ぴったりと磁鉄鉱に吸い付きます。竹竿は手を離してもそのまま落下しません。

 群馬鉄山の鉄鉱石ではこうは行きません。



 この小さな写真は磁鉄鉱に含まれる銅の兆候を示しています。磁鉄鉱には特徴的に「銅」が含まれている事が判っています。とは言え、この様な兆候は非常にまれな現象で、この地域の地質に非常に知識と経験豊かな案内者が居なければとても観察出来ない事でした。
 さて、右の写真は何でしょう?南蛇井層の泥岩に挟まれた小さな結晶です。背景のハンマーから大きさを類推して下さい。恐らく、方解石の結晶だと思われます。



 このレンガ作りの遺構は、採掘した磁鉄鉱を割り易くする為の「焼成炉」の下部構造です。溶鉱炉を作るレンガは殆ど輸入品が使われました。この頃に、国内でも高温に耐えるようなレンガの試作・販売が始められていましたが、まだまだ輸入品の耐久力には届かなかった様です。

 溶鉱炉に投入する磁鉄鉱は石灰岩等と共に3cm程度の大きさに割られて高炉頭部から投入されていたようです。
12時には見学を終える予定でしたが、最後の見学地「鉱碎:のろ」捨て場を後にしたのは既に13時を廻っていました。鉱碎:ノロは石灰岩と鉄鉱石から鉄分が抜けた後の「残碎」ですが、大変に黒曜石に似た輝きと色合いのものが多く見受けられ興味を惹かれました。その後、地主の方のお宅で大変美味しいお茶とお菓子を頂き、表面を美しい模様で飾られた鋳物製の保温用の火鉢なども拝見する事が出来ました。
改めて、御案内を頂いた中小坂鉄山研究会の方と地主の方にお礼申し上げます。


食事の後は、南牧川を遡り磐戸地区に向かいます。昨年の台風の影響はまだまだ残っています。

事前には「左岸に枕状溶岩が在る」事と「岩質はシャールスタイン」である事以外、殆ど情報が得られていませんでしたが、両岸共に実に見事な枕状溶岩の露頭が在りました。残念な事に内容的に少々お粗末な案内看板があり、その前には枕状溶岩以外の岩石サンプルが置かれていました。折角、天然記念物に指定しているのであれば、もう少し扱いを考慮して頂きたいものです。


 右岸から左岸の枕状溶岩露頭を眺めた状況です。昨年の台風で歩行者用の橋が流されてしまい、橋脚のみが残っています。橋は比較的新しいようです。枕状溶岩は非常に小型のものと大型のものが見られました。又、場所により石英脈や杏仁構造(きょうにんこうぞう)がはっきりしている部分と石英脈が非常に少ない部分が存在しています。

 ハンマーの大きさから対照的な大きさの差がお判り頂けると思います。これは右岸の枕状溶岩です。




 右側の写真ではハンマーの柄の上端付近を右下がりの堆積途中に流れてしまった様な構造部分が見えます。下の左側は空隙が沢山ありますが、右側の写真では殆ど全ての空隙が白い鉱物で埋められています。




 我々には同じ漢字ですが、「きょうにん」を、地質学では「あんにん」とは読んではいけないそうです。

 杏仁(あんにん)豆腐とは一線を画すのが学問なのでしょう!杏仁はアンズの種が白い事から来たようです。玄武岩の気泡を埋めた白い鉱物が杏仁の種を思い浮かばせたのでしょう。ちなみに「杏仁構造」をネットで検索すると日本語は出て来ません。

 中には、この写真の様に、一端空隙を白い鉱物が満たした後に、溶食してしまったものも見掛けられます。
 枕状溶岩の分布範囲を調べていると突然、変成を受けていない「シート状溶岩」に出くわしました。最初は断層を隔てて若い溶岩と変成を受けた溶岩が接しているように思えたのですが、下の写真でもお判りの様に、若いシート状溶岩は実は右岸まで繋がって居た形跡があるのです。


 磐戸地区は、本宿陥没の壁から2kmほど離れています。あるいは陥没地から流れ出た溶岩が古い枕状溶岩を覆って薄く、シート状に広がったのかもしれません。
 尚、この付近の古い地層は以前観察会を開いた「万場」と同じ時代のもので、北部秩父帯に属するジュラ紀付加体の地層群に相当する様です。玄武岩類は石炭紀からペルム紀と考えられていますが、直接的な時代を示すデータはありません付近のチャートからは三畳紀からジュラ紀の放散虫化石が産出しています。」


 報告の最後に以前から「枕」状溶岩の上で寝てみたいと言う願いをかなえた"O"さんのくつろいだ姿をご覧下さい。



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